憑依型読書、それと与沢翼



読書目的もさることながら、こんな戦略・思想・文体を作り出すこの人物はどんな命式をもってんのやろ、と知的好奇心を満たすためにも書籍はとっかえひっかえ読む。

以前より限られた時間で読書をするしかなくなったわたしは効率を求めて書籍選びに、算命学をよく活用するようになった。もう5年以上前から読んだ著者は命式をチェックしていたけれど、書籍選びに活用するようになったのは最近のこと。


「この本は一瞬で読めたな」「今も自分の中に生きている」という一冊は、自分の命式にもっている主星あるいは従星その他と一致している著者のパターンが多いこと!
(まだわたしが学び得ない算命学の法則があるのかもしれない)


作者と自分自身の知的レベルの差、生きた時代の差、
読んでいる時の自分の健康状態や周りの環境も読みやすさを左右する。


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僅かな時間を投資して1冊の本に捧げるのであれば「当たり」がいいな。



小説・エッセイ・漫画、そして実用書でもお気に入りの人物が書いたもの、に関しては嗜好品。時間をかけて、「無駄」をひっくるめて楽しむものであり、そこに効率は求めない。素直に好みのものを選ぶ。
高級なコニャックをチビチビあけるように読むことも。
(それでも習慣で、福袋を開ける感覚で「おー!この人、鳳閣と龍高持ちか。」とニンマリするのである。)


一方、啓発・仕事術・ビジネス書は、自分の血となり肉とならないと甲斐がない。
意識・無意識いずれも自分の「現実行動」に作用してくるので、慎重に選びたい。それもサクっと読みたいし、相性が良いものがいい。

書き手と読み手とで、呼吸の一致があると、文体はサラサラと目を流れ、内容は息を吸うようにスーっと頭に入ってくる。その思想は快適に私をエスコートしてくれる。


そもそも実用書を読むということは「実行すること」前提でその著者の叡智を頂くわけで。

福袋は運試しだけど、特定の欲しい商品があるなら、その棚目掛けて最短で奪りにゆきたい。


「実行する」ということ。

自分の「強さ」「持ち味」とあまりに異なる素質の人の真似をすると、肉体・精神的にも無理が生じる場合がある。
算命学では「現実世界に於ける心の強さ」が数値化される。強い器をもつ人間に、弱い器をもつ人間がその思想に鼓舞されて、息切れしつつも中身を背負おうとすると、破綻しやすい。
また、自分の持ち味が「集団の中で発揮されるタイプ」が、「群れるな!狼になれ!の単独タイプ」の真似をすると、満足感を得られにくい。

本のノウハウなど、続かないものは続かなければいい。だから好奇心と直感に任せて採用と不採用を繰り返す。続かなければ「(今の私 or 本質的に) 合っていない」ということだし、「合っていない」事柄をつづける工夫や闘志がないのならば、それは自ずと風化するだろう。



昨夜から読んでいる本

与沢 翼「ブチ抜く力」扶桑社

彼のことは「広告でみた、秒で金を稼ぐ男。六本木。」くらいの印象だったが、箕輪厚介の本に彼とのエピソードが書かれていて、俄然興味をもった。日干が夫と同じ、戊戌だったこともあり購入。

「戊戌」という情報以外すっかり忘れた状態で読み始めたらそれはそれはもう

車騎星だだ漏れ。
もう一度、命式を出してみると中心星「車騎」で歓喜!






車騎星とは、陽の攻撃本能の星。単独での攻撃を得手とする。
(攻撃と言っても、暴力ではない。

やるか、やらないか。黒か、白か。YESかNOか。
やること(獲物)が決まったら秒でまっしぐら。
思考と行動の間にタイムラグはなく、思考即行動なんである!

しかも、彼の壮年期は「車騎星×天馳星」ときている。
天馳は非常に忙しない星で、スピード感・瞬発力も所持しているので
車騎と掛け合わさって、その速さはまさに「ブチ抜」かざるをえない。

それにしても与沢翼の車騎っぷりは芸術品よ。美しい!

天庫星×2 も、与沢翼の「一点集中でブチ抜く」に透けて見える。
天庫星は人間の一生に例えると「」。
お墓は右にも左にも動かない。
地中へ地中へ、ただ一点に向けてエネルギーを放出するのみ。

この人ほど星(=持ち味)を分かりやすくフルに稼働させている人はいるのだろうか。
車騎星の特性ゆえに、可視化されているのだろうか。
命式がいくつか用意されて、「どれが与沢翼でしょうか?」と尋ねられたら
多くの鑑定者はコレだと当てることができると思う。


編集者の介入もひょっとしたらあるかもしれないが、文章は大変柔らかくて読みやすい。
表紙が挑発的だから、キツいものを想像していたらそんなことなかった。

追記 2020. 11. 11

与沢翼「ブチ抜く力」を読み終えた。本書は336ページ、厚さは2cmは超えている、
わたしの南方車騎星と彼の車騎星が重なり、駆け抜けるように読めた。

「おわりに」と題した彼の締めの言葉を読んで泣いてしまった。
黒から突然、白に突き落とされたようで。



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速読ができて、とにかく量を読める人は取捨選択で良本に巡り合うだろうし
清濁合わせ飲む読書も、その人の経験値をあげるのだろう。
苦しいながらも読んでいた本に、とんでもない宝を見つける人もいるだろう。

I made a paper-book by myself.
















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