中庸は 楽で 安で 静で 無意識で 無限です
宇宙=大自然 の 唯一の用(はたらき)は 中庸を保つこと
宇宙は中庸であるから 在り続けている
ここでいう宇宙とは
あなたも わたしも
楊梅も あの山も 国土も
認知できる観念
あらゆる全てのことです
たとえ どちらかに バランスが偏ったとしても
それと同じ分 対にエネルギーを発揮して
結局は 中庸の もとどおり
そのものなりの 絶妙な中庸があって
偏っていても バランスがとれているから
いまここに あるのです
中庸(バランス) が 50 とするならば
アンバランスは 最下 0 と 最上 100
生まれてから 今までにしても
0 と 100 に振れることなく
50 前後 で すーっと生きてきた人も います
この人が 認知しているのは 50前後の実体験だから
その人からみた「あなた」もまた
同じように 50前後 のように映ります
50というスケールのなかでも
50という枠なりに 0か100という下限上限はあります
一方
0 と 100 の間を 上下して 生きてきた人もいます
自ら 0 とか 100 にダイブする人もいます
不足の感覚も 飽和の感覚も知っている人
そんな人は 不足と飽和を体感し
自分なりの 中庸 50 を知ります
上記の生まれながらにして 50 でありつづけた人が
何かをきっかけに 0に下降しはじめたとき
反射で 50 を保とうとし葛藤がおこりますが
下降こそが 自然の流れの場合
いっそ 0に下降して 不足を知る
そのあとに舞い戻った 50は
前回の50とは 別次元の50です
100 への上昇 も また同じ
不快感があったら 辞めて 最短で50目指せばいい
0を味わえというのは 老害
という人こそ 実は
0も100も知っている人だと思います