不得意なもので勝負しないことの徹底【美大受験の話】

小さいは小さいながらに、大は大ながらに、
その持っているすべてを表現すればよいのだ、これがシンセリティ(誠実)だ..

鈴木大拙 『玄想』


上と同じようなことを美大浪人時代に講師に言われたことがある。


2010年の受験の話をしよう。



グラフィックデザイン系を目指していたわたしが受験で勝負する技法は、鉛筆デッサンと色彩構成の2本だった。美術芸術大学の受験では、デッサンは欠かせない。この二つの技術を受験勉強として、高校の2年間と浪人の1年間で練磨した。
いよいよ受験が始まる気配がたったころ、わたしは第3.4希望として空間デザイン系も受けることに決めた*1

[ *1 他の大学の受験を知らないが、美大受験ってやつは同一大学の違う学科を併願するケースが多い。自分の専攻じゃない学科も実技の内容が能力でまかなえるものあれば併願することも。特に浪人生はその傾向にある。例えば、ひとつの大学のグラフィックデザイン学科とテキスタイルデザイン学科と彫刻科を、まとめて受けるように。美大の学費も、浪人の予備校費も、はんぱない。だから浪人生はもうどの学科でもいいから、滑りこめ!という精神。大学に入ってしまえば、工夫したら学科の移動も稀にできたりする(らしい)。裕福な家庭なら、何浪してでも目当ての学科にトライできるだろうが、大半はそうではない。わたしの同期は美大と、A学院大も受け合格していた。



空間デザインの実技は、鉛筆デッサンと立体構成の2本。《平面構成》は紙に色彩絵具と筆で、与えられた課題にそって画面を構成するのに対し、わたしが受ける学科の《立体構成》は紙など与えられた素材と接着剤とカッターで立体作品をつくるものだった。


空間デザイン対策は、付け焼き刃として、受験日の1ヶ月前くらいに初めて講師から課題が出された。浪人仲間の中では受けるのは私だけで、現役生の2人と同時に課題をスタートさせる。

「白い紙で○○な建築物をつくりなさい」的な課題であった。


空間デザインの合格者の再現作品集をみると、そのほとんどが、完成物から逆算して展開図を設計し、山折り谷折り切り込みなど、巧みの技で「紙だけでこんなオブジェができるんか!」というほど細やかで潔癖な作品ばかりだった。そんな作品が試験を通過していた。

わたしは設計とか展開図をつくることが苦手なのだった。何か完成図があって、それが100だとして、1から100までのプロセスを狂いなく設計することが好きではない。パッチワークでも細かい設計図は作らない。

アトリエの長机を前にして、途方に暮れていると講師が「ひとつだけでいい。ももこが確実に持っているもので戦えばいい。持っていない物は見せない。」というような助言をしてくれた。



しばらくして閃いた。

「1..15…43…100」じゃなくて「1.1.1.1.1….」で100に到達できそうなアイディアが浮かんだ。
2も13も15も、今の私の範囲外だ。時間がない!今あるものを使い倒せ。

同じ寸法の小さな紙片を沢山つくる。その紙片の端をつないで小さな円をつくる。その円を100個以上つくる。精巧な展開図はなし。小円をレンガのように、赴くままに積み上げる。円が歪んだらその歪みに従うように全体も歪む。ひたすら 1 を積み上げる。

おもしろい!
自分に無理がない透明な感覚。自由自在の感覚。
ひたすら積む、積む積む




受験当日は、その泥臭い技法と、デッサン力だけを持っていった。
そして合格した。


マジョリティに従っていたら、劣等感の中でポンコツな作品を作っていただろう。「精巧にしなければならない。」「皆に従う以外に道なし。」という自分が勝手に作り出したイメージに囚われて、そこから出ることを恐れただろう。


不得意なもので勝負しないことの徹底の中に思いがけない秘密ルートがあることを知った。



王道でなくても圧倒的なものをつくったら、それは霊性を放つ。
霊性を放つものをある種の人は見ずにいられない。


目指す大はありつつも、小を味わいつくす徹底。
小さいは小さいなりに、持っているものを磨き表現しつづける。
結局、大にたどり着くか着かないかは、知らない。
そもそも小大に優劣はあるだろうか。


Whitepaper House Of Egon Schiele (2013)







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