天印のときの記憶


わたしの生まれて一番最初の記憶は 0歳8ヶ月 くらいのもので色も脳の感覚も、そのシーンだけ鮮明に憶えている。


算命学では肉体に霊魂が備わるのが、おおよそ3年とされていて、そこに一説がある。
陽/霊魂/天空 が 陰/肉体/地上 とあって、地球の北極と南極を結ぶ地軸が公転軸に対し23.4°傾いている(理科で習ったアレ!季節がある理由)、そこに天空と地上に約3年のズレが生じ、霊魂と肉体にも3年のズレが生まれるという理屈らしい。

そんな云々抜きにしても、物心がつくというのは生後3年くらいからの人が多いのでは。

十二大従星でいうと、天報: 胎児の時代、天印: 赤ちゃんの時代を経て、天貴星から「自分は生きている」という自意識がはっきりして、ようやく《人 person 》になる。

胎内記憶といって母親の腹にいる時の感覚が残っている子どももいるらしい。本当にそういうこともあるんだろうなとも思うけど、大人が喜ぶようなことを察し、嘘と事実をこねくり回して、呼吸のように吐けちゃう器用な子もいるんだよな。

天馳-天報/壬 : 陰気が陽気を任(はら)む。



1991年、実家の階段だった。


わたしは階段の下から3-4段目くらいに手をついていた。視野はこんな感じだった。階上は陽光で白く明るくて、上も左も右も、陰に囲まれているから四角の枠をつくっていた。その枠の中を緑でチェックのエプロンをつけたママが忙しなく行ったり来たりしている。髪の毛はいつものように小さく二つに縛っていた。ママの後ろにラタンの小箪笥も見える。その引き出しは赤チェックの布でカバーされている。わたしの傍にはパパがいて、後ろには祖母祖父、いろんな人(誰?)がいる。


と、今では言葉をつかって「ママ」や「階段」とか名詞をつかって後付けで説明をできるのだけど、当時は言葉も持たないので感覚的なものがあるのみ。赤ちゃんの世界を、言葉で説明しようとするのは難しい。文字にしたとたん成り立たない。不立文字。

純度が落ちるのだけど、表現する。
N極とS極がくっつくことが摂理のように、「あれ = 緑チェックのエプロンの人」の元に行かざるを得ない。ただそれだけ、だった。だからそれだけを持って、階段を登っていた。
ママ・パパ・祖母・祖父 という人物を、概念はしらないが、「その人はその人」というカラーみたいな認知はあった。


それが0歳8ヶ月のときだったかもしれない、というのは後に読むことになった母親がつけていた『育児日記』で知る。そこにはわたしが階段を初めて登った時のことが記録されていて、「パパは涙したみたいよ」とも書いてあった。
記録をよんでドンピシャだったので、あの時のだ、と察した。

階段は数段登っただけ。(降ろされた?)
床に着地したら、とりあえず祖母のほうに這っていった。西側のテレビの前に正座している祖母の腿を最後に記憶が終わっている。


成長するにつれて母親と分かち合えなくなったけど、「緑チェックのエプロンの人」に抱いた大安心の感覚は、母親に対して今も・これからも・死ぬまで、こびりついて離れないんだろうなと思う。


また言葉のない世界は、いつもここに。

《追記》赤ちゃんの時代は、天印、ですね。天恍とうっかり間違えました。タイトルも!危ない〜

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