JUST DO IT 大人と子どもの「ごめんなさい」



「ごめんなさい」という言葉を
家の中では もうずっと使ってなかったのに
子どもが産まれてから 使いまくりです




夫に骨董の皿を立て続けに割られたときには

「ごめんじゃなくて、やって。
 ただ JUSTやって DO。」

と 強く伝えた日がありました


謝るんじゃななくて
とりあえず 後始末をし
金継ぎで直してくるか
代替品を購入することを希望します

なぜ謝罪は不要なのか
夫に道理を説明をしました






大人が使う ごめんなさい とう言葉は



① (主に他所様に対して) 咄嗟にでてきたもの。
  お客さまの服にコーヒーをこぼしてしまった、とか
  歩行中ぶつかってしまった、とか

② (主に仕事の場面で) 形式的にでてきたもの。
  ミスをしたら取引先に頭を下げたり
  メールを送るなど

③ (主に身近なものに対して) でてきたもの。
 


と 大きく三種 あり

① ② は 実利性がありますが
③の「ごめんなさい」の 実利性は ほぼないと考えています。





「ごめんなさい」という言葉が
改善行動の前に出てきたものであれば
それは相手を慮っているのではなく
自分の居た堪れなさを軽量化しようとする行為
だと思うのですね


そして発語もエネルギー消費ですから
「ごめんなさい」ということによって
言う側の 気持ち的にリリースされ
改善行動へのエネルギーがそこでいくらか消費されてしまう


謝るくらいなら やらなければいいし
やるなら 謝らなければいい


相手への申し訳なさ 居た堪れなさを抱えたまま
具体的に行動を変えていくことが 効果というもので
「ごめんなさい」は 行動のあと、です





その「ごめん」という
自分にとっては非実利に思えた言葉を
この2年間 1000000000000000回は
子どもに言いまくってる自分がいます


オムツ交換を忘れていて 股がパンパンになっていたら

「うわっ!ごめんね!」

イライラして子どもにひどいことを言ってしまった後に

「さっきはごめん…」





あれほど 軽視していた言葉なのに
子どもの前では 謝ることは 欠かせない大切な行為です。

そしてまだ喋れないあの子に
「かかあ、ごめんなさい」「かか、ありがとう」
と言われたら 心が溶けてしまうと思います





一方、夫に対しては 謝られたくないし
謝りません


こどもに「ごめん」と言うたびに

この2年間 たびたび考えていたのです


この違いは 一体なんだろう
ただ、子どもが 自分より弱いという存在で
言葉で許してもらえるとでも?




いまや算命学思想に おとしこんで
合点というか「そういうことなのかしら」と
理論面で納得しています


算命学には「放縦論」という
人間を 陰・肉体 霊魂 に区分した考え方があります

また算命学は 方向理論ですから
これを自分中心の図に置き換えると

東西横線が 肉体・現実線
南北縦線が 霊魂・精神線

という区分なります





東・西・南・北・中央 と それぞれの方角には
相応の人物 だとか
場面や分野ごとに
さまざまな意味合いが付されています


今回の場面では

東: 仕事世界
西: 配偶者
南: 子ども・目下
北: 親・目上


という意味合いを付しました




夫は西で、肉体・現実線であり
自分と同等にいます

子どもは南で、霊魂・精神線であり
自分より 下にいます


この図をみると なるほど

東西の「配偶者」「仕事関係
つまり同等の関係性には
行動する前に 謝られたくないし、
こちらも謝るようなことをしないよう努めている

という感覚があります
仕事も夫婦も利害関係がありますから
より現実的な行動、実利が効果的なわけです
謝罪とかいらんから「ただ、やれ」と
そして自分も 居た堪れなさを携えて ただ、やる

謝るなら 行動の後です



一方、

南北の「」「子ども」/「目上」「目下」
そのような人物に謝られたり 礼を言われたら
嬉しいし 全てが報われるような感覚になります。
たとえ親が憎かろうと「あのときは ごめんな」と言われたら
何十年分のしこりが リリースされてしまう気がします。
子どもに「おかあさん、ありがとう」と言われたら
めちゃくちゃしんどかった乳幼児期のことも
リリースされるでしょう(笑)





利害関係には 言葉なくして行動を

上下関係には 行動なくても言葉を






これが一種の処世術なのかもしれない

※ ただし、世の中には情的な人と理的な人がおり
情的な人は 「謝ってほしい」という 欲求が強いでしょう
そういう人に向けては「ごめんなさい」は 利 です
その判断が むつかしい






特に 産後に強く実感したのが
夫婦はロマンスでもありますが
現実では 利害関係でもあるということです
「こどもの世話」というひとつの目的を共有しているので
同士感・仲間感が強くなりました (夫婦によりけりですが)


経産婦さん ならわかるかと思いますが
行動が伴わない 夫の「ごめん」は
産後、むしろ腹立つものです

産後の女性は とても 現実的 です
命を守る という現実の真っ只中にいるのですから
行動を絶やしたら 命が終わってしまうのですから



「ごめん」では 現状
ミルクも暖まらないし
オムツも濡れたままです




子ども世界は ざっくりとした目で見れば
非合理の世界に生きているから

「ごめんなさい」という言葉を大切にしてほしい


お友だち同士でも
大人から子どもに対しても 
子どもから大人に対しても

しまった!と思えば「ごめんね」



だから こちらからも理屈抜きに
「ごめん」とホイホイ言ってしまうんだろう


言葉なしの 彼らには
まずは言葉の効果を 覚えてもらわないと


少しお兄ちゃん お姉ちゃんになったら
行動することも大切にしてほしい



そうやって 子ども時代に 謝ることを教えられてきて

大人になったら バージョンアップしないといけません

なぜなら 大人 になるということは
思考・判断し それを行動に移す能力を獲得しているのだから


行動あっての 言葉だと
思うのです




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